2014年08月29日(金) 「私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです」Uコリント2:10
「私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです」Uコリント2:10
ある人に、嫌がらせの無言電話が続いた。余りに続くと、精神的に まいって来た。段々、日頃の対人関係を考えると、相手がわかるよ うになってきた。普段からの言葉や態度を思うと、他には考えられ ない。嫌がらせを思う時、平常からの言動や態度と共に、赦せない 思いで一杯になった。 その思いは、自分自身が辛く苦しい。しかし赦せない、憎しみが湧 き上がる。その内に、環境的に相手と関わる事が無くなり、会う事 も無くなった。だが、憎しみは無くならなかった。心にはっきりと 存在し、暗い重苦しい思いに支配された。多忙な日々には、紛れて 忘れているが、何もしていない時は、よみがえっては、苦しみに支 配された。 真っ暗闇の牢獄だった。楽しい時も、楽しくなく、ずっと囚われて いるようだった。主のもとへ行き、祈った。心の苦しみをありのま ま打ち明け、助けを求めた。この苦しみから解放されたかった。 御心に、従いたい気持ちを告げた。すると、相手を赦すようにと語 られた。 自分はできない、したくないが、でも、感情は置いて、意志を向け て、意志で「赦します」と決心した。すると、心の重苦しさが消え て、平安になった。楽になって、喜びが来た。心から感謝が溢れた。 その後、何とその相手から「申し訳なかった」との謝罪の手紙が届 き、驚いた。 ----------- サタンの策略を知らないわけではない。憎しみの背後に憎しみに閉 じ込め、主にある平安な日々を奪うサタンがいる。赦すことが牢獄 からの開放だ。憎しみがあるなら相手に反応するたびに主に祈ろう。