2014年09月28日(日) 「イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われ た。『恐れないで、ただ信じていなさい』」マルコ5:36
「イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われ た。『恐れないで、ただ信じていなさい』」マルコ5:36
会堂管理者ヤイロの娘が死にかけていた。ヤイロは主のもとに来て、 娘のいやしを求め、一緒に来ていただけるように願った。主はその 願いを聞き入れ、一緒に出かけられた。その時に長血の女性が現わ れ、行く手をはばまれた。主は彼女をいやされ、対応された。 一刻を争うのに、ヤイロはどんなに心が急いた事だろう。その事で 手間取っている間に、家からの者が来て、娘が亡くなったことを告 げた。「なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう」と。主 はその言葉をそばで聞かれ、会堂管理者に「恐れないで、ただ信じ ていなさい」と言われた。 他の訳では「イエスはその話している言葉を聞き流して」となって いる。「心にとめない」ということだ。不信仰な言葉を「聞き流す、 聞かない、心にとめない」ということは重要だ。「子供が亡くなっ たので、もう先生に来ていただく必要はない」一見、合理的な言葉 だ。しかし、信仰を妨げられてしまう。 「もうだめだ」「もう遅い」「何になろう」絶望的なネガティブな 言葉により、心は恐れや不安、思い煩いに支配される。不信仰な言 葉は流し、捨てて、信仰の言葉を心に受け入れよう。「なぜ取り乱 して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているので す」。 人々は嘲笑った。しかし主の言葉の通りに、「少女はすぐさま起き 上がり、歩き始めた」。娘はいやされた。私たちは、どの言葉を聞 いているだろう。 ・・・・・・・・・・・ 絶体絶命のヤイロに、間髪を入れず、主は御言葉を語られた。目に 見えるところは絶望だ。見える状況と、主の言葉が相反する時、御 言葉に立てるよう祈ろう。見えるものには凄まじい力がある。御言 葉を選択できるよう祈ろう。御霊は助けて下さる。