2014年10月29日(水)

「主は私の受ける分です。私は、あなたのことばを守りました・・私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:57


神に従うためには、御心に従おうとの「意識的」「選択」が必要だ。
オートマチックではない。なすがままにしていると、決して従えな
い。肉は楽な方へ、楽な方へと向かう。そしてそれは没人格、没個
性、没意志になるわけではない。夢遊病者のように、放っておいて
勝手に従って行けるのではない。

意識して、肉ではなく、御霊の導きの方を「選択」し、御霊に拠り
頼まなくてはならない。神が、私たちを操って従わされるのではな
い。それなら人形であり、ロボットだ。また、神が、私たちの意志
を無視して、代わりにされることもない。詩編記者は「あなたのこ
とばを守りました」と言っている。

私たちはどうだろう。主のことばを守ろうとしているだろうか。御
霊の何かの示しをなおざりにし、ないがしろにしていないだろうか。
引き延ばして、ぐずぐずしていないだろうか。詩篇記者は、主のさ
としの方へ「足を向け」た。祈ったのでなく、実際に行動した。
「仰せを守りました」。

今、はっきりと、主の御心に、自分の足を向けるよう、具体的に従
うように導かれているなら、実行しよう。「急いで、ためらわずに」
とあるように、ぐずぐずしていると、必ずできなくなってしまう。
いつしか、御霊の促しが消えてしまう。大きな祝福を逃してしまう。
今日、足を向けて、主の仰せを実行しよう。
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いつの間にか、無意識に、と肉に従っているが、御霊の促しに従うに
は決断がいる。無意識にできない。示された導きがあるなら心を主に
むけ立ち上がり、歩を進めよう。