2014年11月28日(金)

「目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります」マタイ22:26


   
偽善とは、「役者」であり、本当の自分ではない役を演じる事だ。
主は、演じるという偽善を大変嫌われた。主は真実な方であるので、
欺き、偽りを非常に嫌われた。偽善者が外側を、うわべを綺麗に美
しく取り繕っても、主はそれを白く塗った墓と糾弾された。杯や皿
の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいだと。

表面は非常にきれいに見えるが、中身は醜い、汚いものだらけだ。
偽善の一番の危険は、外側をつくろい、うわべをきれいに飾ってい
る内に、人をだましていたのが、自分が自分にだまされて行くこと
だ。必ずそうなって行く。自分の内側の邪悪な罪、醜い罪に気づけ
なくなって、主の前に自分は正しいと思い込んしまう事だ。

御霊が罪を示しても、自分の事だと認めない。自分は正しいからだ。
そのため悔い改められなくなってしまう。御霊が罪を示しているの
に、自分に「罪はない」と言う。その時、御言葉は言う、「真理は
私たちのうちにありません」。主が罪を示しているのに、自分には
罪が無いというなら「私たちは神を偽り者とするのです。神の御言
葉は私たちの内にありません」と。

一番恐ろしい状態に陥ってしまう。パリサイ人たちは、偽善をあば
く主を、憎んで殺して行ってしまった。人前で演じて、つくろって
しまう自分を認め、主の御前で、正直でいよう。その時、主が正し
く導いて下さる。
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主は折々に本当の自分を示してくださっている。認めたくない自分
を知っていくことが祝福だ。自分は正しいと思っていないか、罪も
悔い改めも、みな人事になっていないか本音の自分に聞いてみよう。