2015年01月29日(木)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります」マタイ6:34  




明日のこと、先のことが、不安でたまらない。不安は更に不安を呼
び、幾ら大丈夫だと思おうとしても、心配は泉のごとく湧き上がっ
て来る。あなたも経験があるだろうか。周囲から、大丈夫だから、
神がおられるからと、すべての必要は備えられると励まされても、
どうしてもだめなのだ。頭ではわかっているが、どうにもならない。

主はそれもご存じで、明日ではなく、この一日、「今日」を考えて
ごらんと言っておられる。「今日」に目を留めると、今、この瞬間、
何か不足があるか?常に、「今日」は必要が与えられている事に気
づかないだろうか。今日は飢えていない。今日は守られている。今
日は働くことができている。その「今日」の連続が一生だ。

「明日」が目の前に来た時には「今日」に姿が変わっている。果て
しない明日を心配し恐れるのでなく、今日、必要与えられ、満たさ
れている事に感謝してはどうだろう。ある人は突然事情によって、
1ヶ月間高齢の親を引き取り、介護の必要が生じた。自分も仕事を
持つ身で、絶対に不可能だと思えた。

しかし他に手段が無く、祈りに祈っていると、明日をいっさい考え
ず、今日一日だけ生きて行けばよいと示された。今日だけならやっ
て行ける。肩の荷が下りた。思ってもみなかったが、夫や子供達が
懸命に協力してくれ、そのようにして1ヶ月を無事乗り切ることが
できた。心から主に感謝した。
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明日を考えて今日を不安に過ごすのは何と無意味なことだろう。主
が平安を与えるためにこの世に来てくださったのに、不信仰を気づ
かされる。明日を委ねて喜んで今日を過ごそう。