2015年06月28日(日)

「家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとっ て、息子、娘を生み・・そこでふえよ。減ってはならない」エレミヤ 29:6 

                   
      
エレミヤの時代、イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連
行された。しかしそのアッシリヤは、バビロンによって滅ぼされ、
バビロンはどんどん侵攻し、国々は滅ぼされ、とうとうユダも、バ
ビロン捕囚の身となった。

当時のユダは神から離れ、偶像礼拝に走り、堕落していた。預言者
たちは、耳ざわりの良い、心地良い言葉を語り、平安が無いのに
「平安、平安」と。しかし、神の人であるエレミヤは、真っ直ぐに
耳に痛い言葉を語った。そのため苦しめられた。

バビロン捕囚のさ中、真っ暗な中で、エレミヤは、それは、一見
「災い」としか見えないが、「平安と将来と希望」のためのものだ
と。すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰をすえ
て生活せよと、そして、敵である「その町の繁栄を求め、そのため
に主に祈れ」と。それは自分達の繁栄になるからと。

私たちも苦しみの時、一番欲しい言葉は「即、問題解決」「即、悩
みから解放」だ。しかし、口先だけの励ましは、更に傷を深める。
私たちも、足かせのような苦しい現状を受け入れる時、その中で神
からの支え、励ましにより生きて行けるという事だ。現実を受け入
れる事が大切だ。

いつまでも苦しみのまでなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰
らせる」。現状を受け入れて、その中で神に従って行こう。そこに
「平安」が約束されている。そして神の時に、かせから解放して下
さる。

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問題を受け入れる時、問題が問題で無くなってしまう。受け入れる
事が解決だとわかるが、その受け入れる事が難しい。自分に死ぬこ
とになる。「無理です。助けて下さい」と、まず祈って行こう。主
は必ず一歩一歩、前に進め、自分を変えて行って下さる。