2015年09月28日(月) 「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや、神に、でしょう・・人の歓心を買おうと努めているでしょうか」ガラテヤ1:10
「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや、神に、でしょう・・人の歓心を買おうと努めているでしょうか」ガラテヤ1:10
対人関係でどうだろう。日常の様々な人からの誘い、頼まれ事に 「ノー」が言えなくて、嫌なのに引き受けてしまう。本心は、 「ノー」なのに、人の手前、良い顔をして「イエス」と言う。段 々、心が辛くなり、重荷になって来る。強いられて嫌々している ので、何の喜びも無い。断わるべきだったと後悔する。 しかし「ノー」が言えない自分に自己嫌悪となる。又、喜んででき ない自分も責める。自分が腹立たしい。又、それは相手にも向かう。 恨みと怒り、憎しみにまでなって行く。辛い思いをするのは自分だ。 問題は何か。人に嫌われたくなくて、良い人だと思われたいから 「ノー」が言えない。又、相手が嫌な思いをするのでは。それを自 分が受け入れられない。 相手の歓心を買い、機嫌を取り、表面上問題は無くても、そこに全 く愛がない。喜びが無く、自分の心も虚しい。「人に嫌われなくな い、良く見られたい者です」と、あるがまま主に告げて、「『はい』 は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」、そうで きるよう祈ろう。 1日は24時間であり、何もかも引き受けていたなら、自分に与え られた御心を行なう時間が無い。主は、際限無く押し寄せる、目の 前の事柄のすべてに対応されたのでなく、父の御心を行なわれた。 そして、事を行う時に、人を喜ばせたいのか、神を喜ばせたいのか、 自分の動機をしっかり考えよう。 ----------- 人がどのように考えるかを恐れ「ノー」が言えないとき、主に助け を祈ろう。祈りも無く無条件に「イエス」を言っていないだろうか。 人や自分だけに目を向けてしまう弱さをいつも覚えていたい。