2015年10月29日(木)

「私のそむきの罪を主に告白しよう。すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」詩編32:5




ダビデはバテシバと姦淫の罪を犯したが、それを隠ぺいするために、
彼女の夫であるウリヤを殺害した。自分はトップであり、誰も何も
言う者はない。その地位ゆえ、この犯罪を隠しおおせた。しかし、
人目には隠し通せても、神の目には裸であり、神は見ておられた。

ダビデは罪を隠していた間、苦悶にうめいていた。神の御手だ。
「1日中うめき、骨々は疲れ果て、骨髄はひでりでかわききった」。
心はカラカラにかわいて苦しんだ。主はそんなダビデを見捨てず、
預言者ナタンを遣わされた。富者が貧者の大切なただ一匹の子羊を
奪った話をすると、ダビデは「そんな男は死刑だ!」と激怒し叫ん
だ。

ダビデは決して自分の事として、受け止めていなかった。他人事で
あり、罪人は、自分の罪には鈍感で、目を向けず、他人の罪には敏
感で、厳しく糾弾する。しかし、ナタンから「あなたがその男です」
と、正面からはっきり指摘された時、ダビデは逃げなかった。心砕
かれ自分の事として受け止めた。「私は主に対して罪を犯した」と、
悔い改めた。

すると「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった」と罪の赦
しが与えられた。うめき苦しんでいたダビデに、全き平安と喜びが
戻った。自分自身はどうだろう。他人の罪には敏感で、厳しく、自
分の罪には鈍感で、見えていないだろうか。御霊の示しを受け止め、
悔い改めて〃歩もう。
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強い嫌悪を覚える時、自分によく似たものをその人に見ている。
「そんな男は死刑だ!」と、自分の罪は棚上げにしているだろうか。
罪を主に認め、赦しを受け取ろう。