2016年02月27日(土)

「・・それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のう ちであった。ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来 て」ルツ2:3

「・・それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のう
ちであった。ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来
て」ルツ2:3

エリメレクとナオミは飢饉で、家族の幸せ求め、偶像の地モアブへ
移住した。しかしそこでの歳月で、ナオミは夫と息子二人を失った。
帰郷を決意し、二人の嫁にも実家に戻るよう勧める。しかし嫁ルツ
は、ナオミの背後の神を信じ、従いたいと堅く決心していた。

ナオミとルツが帰郷した時、丁度、大麦の刈り入れ時だった。食べ
て行かなくてはならない。ルツは落ち穂拾いをした。ハードな仕事
であり、異国人はいじめに会った。しかしルツは生計のために出か
けた。すると「はからずも」ボアズの畑であり、「ちょうどその
時」ボアズがやって来た。ボアズはルツに目を留め、親切と厚意で
接してくれた。

ナオミが、帰郷の決意をした時から、すでに主の祝福は備えられて
いた。神を信じるルツの同伴、どんなに心強かった事だろう。生計
のために、丁度、時ピッタリに大麦の刈り入れ時で、落ち穂が拾え
た。たまたま刈る人たちの後について拾うと、「はからずも」将来
結婚するボアズの畑だった。そこにピッタリに普段は来ない、所有
主であるボアズがやって来た。

私たちにも、主は配慮を持って導いて下さっている。生活の中で、
「ちょうど」「時ピッタリに」「はからずも」「ちょうどその時」
が必ずある。生活をよく点検してみよう。信仰者に偶然は一つも無
い。時と機会は、主から来ている。それは主のみわざであり、主の
ご愛だ。

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この一日は、神のご愛に導かれている。世の人々にとってはどんな
に幸いな事があっても偶然であって、神を認める事はない。しかし
信仰者には、神のご配慮だ。そこに神を認めて行く。天と地ほどに
違って来る。