2016年05月29日(日)

「しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の 妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。―主の彼に対するあわれみ による。そして彼らが連れ出し」創世記19:16



ソドムに住むロトに、二人の御使いが来て、主から遣わされ町を滅
ぼすと告げた。婿や息子、娘、身内の者を皆、この所から連れ出す
ようにと。それでロトは、娘婿たちに主がこの場所を滅ぼされるの
で、出るようにと言うが、娘婿たちは冗談だと思った。ロト自身が
ためらっていて、ぐずぐずしていた。

娘婿たちは動こうとしないので、夜明け頃、御使いはロトに促した。
妻と二人の娘を連れて逃げるようにと。滅ぼされてしまうからと。
尚も、ぐずぐずしているロトに、御使いたちが、ロトの手、妻の手、
二人の娘の手をつかんで、町の外に連れ出した。それは「主のあわ
れみによる」と。

ロトも突如の事に、信じられず、そして自らの築き上げた地位、名
誉、財産を手放す事をためらった。肉の思いが、神に従う事をため
らわせる。私たちも同じだ。御心に従おうとする時に、いつも肉の
思いがまとわりついて足を引っ張る。自分の地位、自分の所有物、
自分への賞賛・・執着して手放せない。

彼の妻は「後ろを振り返るな」との言葉に従わず、振り返って塩の
柱になってしまった。置いて来た有形無形の財産、宝に、後ろ髪を
引かれただろうか。人生、肉の思いを優先して生きたロト、「肉の
人」の型と言われているが、尚も「主のあわれみ」があった。

つかんで強制的に連れ出された。主の尽きる事のないあわれみだ。
私たちも、あの時、この時、主のあわれみを見い出す。

・・・・・・・・・・・
信仰生活、いつも目の前に二つの選択がある。御霊と肉の選択だ。
肉の求める自分の栄光、御霊の導く主の栄光、常に正反対だ。そこ
に主のあわれみがあり、従えない者を、手を取って助けて下さる。
そんな主に従って行きたいと思う。