2016年08月29日(月)

「ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。この人がパウロの話すことに耳を傾けていた」使徒14:8 



ルステラの野外での事だった。生まれて一度も歩いた事のない、足
なえの男性がいた。彼は、パウロが語る御言葉にじっと真剣に耳を
傾けていた。彼は生まれてこのかた、歩く事に関して、全くの無力
で、どうする事もできなかった。パウロは熱心に聞いている彼に、
「いやされる信仰」があるのを見て取った。

そのためパウロは「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。
彼が与えられていた信仰を用いて、従うように求めた。すると彼は
飛び上がって、歩き出した。何と、生まれて一度も歩いた事のない
人が、飛び上がって歩いた。自分に何の力が無くても、主の御声に
従う時、御霊が力を与えて、成し遂げさせて下さる。

ある時、主は片手のなえた人に「手を伸ばしなさい」と言われた。
言われた通りに、今まで一度も動かした事のない手を伸ばすと、手
は直って、もう片方の手と同じようになった。信じないなら、はな
から手を伸ばそうとはしない。無意味だからだ。彼は信じたから手
を伸ばそうとした。その時に力が来て、奇跡が起きた。信仰を行動
に移した時だった。

彼らは、もういっさい何のすべもなかったから、主やパウロの言葉
を信じてすがりついた。完全無力のところに、主の奇跡が現れる。
私たちも今までどうにも出来なかったところに働いて下さる。赦す
ことか、和解か、不可能な分野か、主の御声を聞いて従う時、かつ
て経験した事がないみわざを見る。
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主にすがる思いで期待し、御声を聞き従おうとする信仰を主は決し
て見過ごされるようなことはない。その思いに目を留め、今、一番
必要な声をかけてくださる。御声を聞いたらなら立ち上がろう。