2016年11月28日(月)

「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」ルカ・・でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網が破れそうになった」ルカ5:6 


主はペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」
と言われた。しかしこんな朝に、通常、魚はいないのだ。またその
前夜はどんなに頑張っても一匹もとれなかった。怠けていたのでな
く、懸命に働いた。しかし収穫はなかった。朝になどいるはずもな
い。「わたしたちは、夜通し働きましたが、何もとれませんでした」、
心は落胆し、期待感も失せ、ぐったり心身消耗し、疲労感のみだ。

しかし、主は、今一度、沖へ漕ぎ出して、網をおろせと言われる。
魚などとれるはずがない。だがペテロは「でも、おことばどおり、
網をおろしてみましょう」と、状況的には、何の期待も持てない中
だが、主が言われるので、網をおろした。すると、何と大漁に驚い
た。みわざだった。

「でも、おことばどおり」とあるが、御言葉が、自分の思いと合わ
ない時どうだろう。自分の思いの方を通し、御言葉を捨ててしまっ
ていないだろうか。無意識にそうしていて気づかないかも知れない。
主が「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとれ」と言われたなら、
主が、そこに魚を備えておられる。

ペテロは、あり得ない状況の中で、しかし御言葉に従った時に、大
漁を見た。二そうの舟いっぱいで沈みそうなほどの。私たちも経験
あるのではないか。見える所は、状況的には不可能のように思えて
も、御言葉に従った時に、奇跡を見せられた。今、御言葉を与えら
れながらも、ちゅうちょしているなら、一歩を踏み出そう。
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とれるはずは無いという価値観からなかなか出られない者を、しぶ
しぶでも漕ぎ出せる方法で導いてくださる。何と感謝だろうか。そ
して主は魚も備えて待っておられる。呼びかけに応答しよう。