2017年02月26日(日)

「私をあわれんでください。主よ。私には苦しみがあるのです。私 の目はいらだちで衰えてしまいました」詩篇31:9



ダビデは「私には苦しみがある」「あわれんで下さい、主よ」と窮
状を祈っている。悲しみ、嘆きで心は尽き果てたと。「私の咎によ
って弱まり骨々も衰えた」とダビデの犯した罪の事にも言及してい
る。隣人からも敵対されと、親しい者からの裏切りにも会い、こわ
れた器のようになったと。

敵に命をも狙われ、まさに非常な窮地に陥った。心が、もうぼろぼ
ろで、壊れるばかりの苦しみ、悲しみ、嘆き、うめきにあるダビデ
は、主のもとに行った。主に心の何もかもを告げ、主と交わって行
った時に、心が変えられた。

「しかし、主よ。私はあなたに信頼しています」「あなたこそ私の
神」と。信仰に立って行った。目に見える苦境を見ていた目が、目
に見えない神を仰いだ。主が、私の神であるなら、何も恐れる事は
ない。そして「私の時は、御手の中にある」、その神に自分の行く
手が、人生が、握られている。そうなら何を心配する事があろう。

「ほむべきかな、主」と喜びと賛美に変えられる。包囲された町の
中で、奇跡のみわざをされる主だと。困難悩みに包囲されていたと
しても、問題無い。その中でみわざをされる主だ。

最後は「雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ」
で終わっている。問題解決にも、神の時があり、その時が御手の中
にあるなら、気落ちせず、へこたれず、待ち望んで行ける。「あな
たこそ私の神です」と窮地の時にこそ告白しよう。

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信仰生活で、様々な問題が起きるが、それは、その問題を通して
「あなたこそ私の神です」と言えるためだ。一つ一つの試練を通し
て、結果的に「あなたこそ私の神です」と経験し、知れるなら、幸
せだ