2017年04月28日(金)

「その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから・・」創世記11:9


最初、全地は一つ言葉であった。スムーズに意思疎通ができていた。
人々はシヌアルという平地に定住し、石の代わりに、れんがを作る
技術が与えられ、れんがと瀝青で建築物を作ることができた。よく
対話ができ、肥沃な地で、建築の技術も与えられ、すべては神の大
いなる恵みであった。

しかし、その神の恵みに感謝し、神に栄光を帰するのではなく、人
間は、自分の名をあげ、自分の栄光、名誉、賞賛を求め、自分が神
にとって代わった。神の恵みで賜った能力を、自分の栄光のために
使うようになった。自分、自分・・。これがアダムからの罪そのも
のだ。「その内に」「我々は、頂きが天に届く塔を建て」、最初は
良かったのだろうが、「その内に」方向が狂って来た。

神は言葉を混乱させられ、意思疎通が不能にされた。その結果、塔
の建築は不可能になり、中止になった。塔建築は失敗した。神が阻
止された。そして人々は全地に散らされた。原因は神への高慢であ
った。彼らが塔を建てようとしたのは「われわれが全地に散らされ
るといけないから」という動機からだったが、逆に全地に散らされ
る結果となってしまった。

この所で学ぶ事ができる。互いに意思疎通ができない時、そこに
「高慢」が潜んでいる。自分が神になり、自己義、自己中心、自己
防衛、自己主張、自分、自分・・。真の一致は、愛とへりくだりに
ある。そこには必ず喜びがあり、神の栄光がある。
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それぞれの言葉があるように皆、思いも違う。自分には推し量れな
い領域があると認めていくとき自分を神にする傲慢から守られる。
散らされ混乱させられたが、神に目を向けるための恵みとされた。