2017年05月29日(月) 「神よ。私を探り、私の心を知って下さい・・私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」詩篇139:23
「神よ。私を探り、私の心を知って下さい・・私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」詩篇139:23
ある人が海外留学となり、皆に見送られ、喜んで出発した。ところ が翌年、何とした事か、書類上の事で、不手際があり、これ以上滞 在不可能との事態になった。自分の過失であり、幾度も説明し、交 渉したが、どうやっても継続滞在の許可が下りなかった。主の御心 だと思って来たのに、なぜ?こんな事に?自分の落ち度なのだが、 わけがわからず、悶々状態で、祈りに祈った。 その時、心の内が照らされて、帰りたくないのは、主の御心がどう こうなどで無く、人はどう思うのか、何と言うだろう、人に笑われ る、プライドが傷つく。御心などの問題でなく、人の目が問題であ り、人を恐れている自分に気づいた。盛大に送り出されたのに、の このこ帰る自分が惨めで恥ずかしい。結局、自分、自分と、自分の 事だけではないのか。 主の御心など、大義名分で、たいそうな事を言いながら、実は自我、 自分しかない事を見せられ、心砕かれて、心底悔い改めた。すると 平安が来て、心がすっきりした。心に喜びが溢れた。帰国を心平安 に決意できた。すると、事態を知った現地の友人達が、公的機関を 走り回り、掛け合い、様々な方法で必要な書類を整えてくれたのだ った。 その結果、何と滞在許可が下りた。主は、目の前の一つ一つの出来 事を通して、心の内を照らし、お心にかなう者へと変え、成長させ て行って下さる。問題が問題なのでなく、いつも何かを教えようと されている。 ------------ 自分でも意識していなかった表に現れない弱さ、醜さを主は様々な 場面を通すことで教えてくださる。見たくなかった痛い部分であっ ても、主よ教えてくださいの心で目の前の問題を見ていたい。