2017年06月28日(水) 「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます」ヤコブ1:25
「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます」ヤコブ1:25
賢い人と愚かな人が建てた二つの家があり、賢い人は岩の上に家を 建て、それは御言葉を聞いて行なう人で、愚かな人は砂の上に家を 建て、御言葉を聞いて行なわない人だ。愚かな人は、御言葉を聞か ないならわかりやすいが、御言葉を聞いている。礼拝で御言葉を喜 んで聞き、御言葉を学ぶクリスチャンだ。 御言葉を拒否したり、御言葉に反抗しているなら、自分でも自覚で きるが、喜んで聞いているので、自分でも気づかない。御言葉を聞 いて、それで満足してしまう。聞いて、わかった気になってしまい、 自分のものになった気がして、そこで終わる。聞くだけで行なわな いなら、自分の生まれつきの顔を鏡で見るようだと。 自分をながめてから立ち去ると、すぐに見たものを忘れてしまう。 御言葉を聞いて忘れてしまい、結実する事がない。何も変わらない。 自分が変わる事がない、御言葉は行なう時に初めて、実を結ぶ。有 難い御言葉を聞いて、心地良い気分になって、終わりだろうか。何 も無い時はよいが、試練が来た時に、はっきりと違いが現れる。 砂の上に建てた家は立ち行かず、倒れてしまうと。 御言葉を実行して行く時に、御言葉が血となり肉となり、どんな暴 風雨が来ても決して倒れない。聞いた御言葉を一心に見つめて離れ ない人は、事を実行して行く。御言葉を見つめて離れず、そして、 行なえるよう、御霊の助けを求めて祈ろう。今目の前に示されてい る御心があるだろうか。 ------------ 御言葉を聞いたり学んだりしただけで満足していると、本当に自分 は出来ているような気がして砂の上で安心してしまう。聞いた御言 葉を実行する者になりたい。主の助けで強い根を張っていこう。