2017年07月29日(土)

「ダビデ王がバフリムまで来ると・・その名はシムイとゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た」Uサムエル16:5



私たちは、時に自分にとって痛い言葉、中傷の言葉を浴びる事もあ
る。ある時、ベニヤミン人シムイ人が、ダビデを嘲って、呪った事
があった。盛んに呪いの言葉を吐き「出て行け、出て行け。血まみ
れの男、よこしまな者。今、お前は災いに会う」と。

この時のダビデは、息子アブシャロムの謀反に会い都落ちし、「オ
リーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、は
だしで登った」とある。余りにも悲惨な、極度の悲しみの状況にい
た。そんな弱っている時の、シムイのこの侮辱に、ダビデはどんな
に、心突き刺され、えぐられる思いだったろう。

ダビデの部下が「あの首をはねさせて下さい」と言ったが、ダビデ
は「ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられ
たのだから。主が、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを
報いてくださるだろう」と。何とダビデは、シムイを攻撃するので
なく、返って主の御前にへりくだった。神がすべてご存じだと。

自らにかつての罪の自覚もあり、それで甘んじて受け、へりくだっ
て、主の懲らしめとして受け入れた。立派な態度だった。そしてこ
の向こう側に、主の祝福を見ていた。中傷に、怒りで応戦すると、
心に平安が失せ、苦みが残る。ダビデはいつも主の愛を受け取り、
何があっても愛の中にとどまり、主を見上げて行った。そんなダビ
デは再び王の座に戻された。
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ぼろぼろの最悪な時に、自暴自棄にならず主に留まる姿に学べる。
罪も弱さも含めて自分の価値を正しく見ていてくださる主の前に
へりくだりに安んじていよう。何度でも再生できる。