2017年08月29日(火)

「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々」詩篇119:1


主のみおしえに歩み、主に従うためには、御心に従おうとの意識的、
選択が必要だ。オートマチックではない。操り人形や夢遊病者のよ
うに、勝手に従って行けるのではない。意識して御霊の導きを求め、
それを選択し、御霊に拠り頼んで行かなくてはならない。主に拠り
頼まなければ進めない。

主が、勝手に私たちを操って従わされるのではない。それならロボ
ットになってしまう。また、私たちの意志を無視して、神が代わり
にされることもない。詩編記者は自分の道を顧みた。私たちはどう
だろう。日々の生活を、自分自身を顧みることは有意義で大切だ。

日々の忙しさに、流されてしまっているだろうか。主との交わりか
ら遠ざかってしまっているだろうか。何かの示しをなおざりにし、
引き延ばし、ぐずぐずしているか。記者は、主のさとしの方へ「足
を向け」た。祈ったのでなく、「あなたの仰せを守りました」と、
実際に行動した。

今、はっきりと、主の御心に、自分の足を向けるよう、具体的に従
うように導かれているなら、実行しよう。「急いで、ためらわずに」
とあるように、ぐずぐずしていると、ためらっていると、必ずでき
なくなってしまう。いつしか、御霊の促しが消えてしまう。大きな
祝福を逃してしまう。今日、足を向けて、主のみことばを実行しよ
う。
-----------
心を尽くして主に尋ねるには、主に心を向ける時間が必要だ。いつ
も何かが同時進行で目の前くる。御言葉は何と言っているか、導き
はどこにあるのか、主に心を向ける時を守りたい。