2017年12月29日(金)

「主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」詩篇33:11



ある人が、思い通りでない、一見マイナスの状況は、悪いものとの
価値観の中で、ずっと生きた来た。クリスチャンになっても、その
価値観は根に培われていて、そのため思い通りにならない事態が起
こると、その悪いものを、主が良くして下さるようにと祈り続けて
来た。ところがその祈りが、ことごとく聞かれなかったのだ。

「なぜ?どうして?」の悶々を通りながら、その事をも「知恵の欠
けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめるこ
となくお与えになる神に願え」の通りに、なぜですかと問うて行っ
た。その祈りの中で初めて、自分の願い、望みが自分中心である事
に気づかされた。

主が願われ、望まれるようにではなく、どこまでも自分の願いしか
ない。「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけ
が成る」。自分の思いと自分のプランがあるばかりだ。「わたしの
はかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる」主のは
かりごとと、主の望む事があることを覚え、自分の思いでなく、主
のみ思いが成るようにと、祈りを変えた。

その時、自分が変えられて行った。主が望む事が、遂げられて行く
のであれば、自分の思いや望み通りでなくても、一番良いのであり、
受け入れて行けるよう祈った。その時、生まれて初めて平安を経験
した。自分の思い通りでなくて良いとは、何と平安なのだろう。
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一見、正しいと思える事が曲者で、他の選択肢を認められなくなっ
てしまう。御心と思っても自分の計画ではないのか。前に進まない
のは主が大きく変えようとしてくださっている時かもしれない。