2018年02月26日(月) 「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです」マタイ15:22
「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです」マタイ15:22
カナン人の母親が、主のもとに来て助けを求めた。娘がひどく悪霊 につかれていて、助けて欲しいと。「主よ。ダビデの子よ」と必死 にすがり叫んだ。この全身の叫びに、主は、答えて下さるはずでは、 と思う。しかし主は「一言もお答えにならなかった」。まるで無視 であり、沈黙されたままだ。 しかし決してひるまず、諦めず、叫び続ける女性に、弟子たちが主 に苦情を言った。それに答えて、「わたしは、イスラエルの羊以外 のところには遣わされていない」と言われた。すると、女性は「ダ ビデの子」をはずして、「主よ」と変えて、ひれ伏して助けを求め た。カナン人の彼女はイスラエルではない。異邦人だ。「ダビデの 子よ」と言う権利は無い。 彼女はへりくだって正しい位置に立った。自分の場所をわきまえた。 すると、主は「子どものパンを子犬に投げてやれない」と言われた。 何と冷たい言葉、に思えるが、そうではない。実は、主は、彼女が 正しく求める事ができるように、ずっと手助けし導いておられた。 女性は「主よ。その通りです」と認め、へりくだり、「小犬でも食 卓から落ちるパンくずは頂けます」と求めた。 その時、娘は癒された。彼女は主のあわれみを信じたから、決して 諦めなかった。あわれみとは、こちらがどんな状態であれ、頂ける 愛顧だ。それは彼女の主への信仰だった。彼女はへりくだって、ど こまでも主を信じて迫った。あなたも今、信仰を試されているだろ うか。 ------------- すぐに諦めてしまう金持ちの青年との対比を学ばされる。主にしか 頼れないと主にねばり強くすがりつこう。必ず導いてくださる。祈 りながら主のお応えをよく見張っていよう。