2018年05月29日(火) 「わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28
「わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28
新しい性質を与えられた私たちは、主に従い、主に喜ばれるように 歩みたいと思う。しかし「恐れないでただ信じていなさい」と言わ れるが、どうしても主の約束を信じる事の出来ない自分がいる。目 前の状況に、圧倒され飲み込まれて、主が全能であり、不可能が一 つもないことを信じる事ができない。 不信仰を恥じて、信じようとするのだが、どうしても信じる事がで きない。又、嫌いな相手を「嫌ってはいけない」「愛さなければ」 と思う。裁いたり、憎むとすぐに平安が失せる。だから余計に愛さ なくてはと、頑張る。だが幾ら頑張っても、どうやっても嫌な相手 を愛せない。何とか愛そうとするのだが、むしろますます嫌いにな るばかりだ。しんどくてたまらないし、平安は無い。 そんな堂々巡りの中で、自分の力で頑張っている事に気づかせられ る。気づくのだが、また肉の力で頑張ってしまう。肉はどこまでも 根深く根強い。何度も繰り返す。自分の力でやれば、やるほどます ます失敗する。やがてもう疲労こんぱい、疲れ果ててしまう。そん な私たちに、主は招かれている。「疲れた人はわたしのところに来 よ」と。「わたしが休ませるから」と。弱いままで良いと。わたし のところにおいでと。 クタクタのヘトヘトになって、主のもとに行き、「どうしても信じ る事ができません」「愛せません。愛したくもありません」と重荷 を下ろす時に、そのままを受け止めて下さる。不思議だが、事態が 展開して行く。新しい気づきが与えられて行く。弱いままでよいと の主のもとへ、絶えず行く時に、律法の苦しみから、恵みの世界に 入れられて行く。御霊の気づきが与えられ、心が解き放たれて行く。 -------------- 主に「できません、助けてください」と言える人生に入れられてい る幸いを忘れないでいよう。自分の思いが先立つと「休ませてあげ ます」の主のお言葉も虚しく聞こえる。いつも主に頼れる。 ★再開にあたり、沢山のお励ましメールを心より感謝します。