2018年08月29日(水)

「悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されるこ とを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行なう者は、光の ほうに来る」ヨハネ3:20



私たちはどうだろう。他者から、自分の欠点や落ち度を指摘された
時、ムッとするだろうか。カチンと来て、怒りが湧く時などは、ま
さにその指摘が的を射ていて、当たっているからだ。自分でもうす
うすわかっていて、その通りだから、反応する。そこに強固な自我
がある。自我にぶつかる。

そこを認めたくないし、見たくないので、逆に、相手に文句を言い、
食ってかかったり、言い返し、相手を攻撃する行動に出る。まさに
自分の触れられたくない、認めたくない、頑なな部分がある。祈り
つつ、その所に、しっかり目を留めよう。何度も同じケースで起き
ているだろうか。そこを主に取り扱ってもらわなければ、ずっとサ
タンに足場を与えてしまう。

そこにあるのはプライドだろうか、虚栄心か、貪欲か、何なのか、
自分の内側の何に触れるのか、御霊に探っていただこう。自らの弱
さを心底認め、常にそのために祈り、その事を神の御前に置いてい
るなら、人から何か言われても、動揺する事はない。自分自身が認
めているのだから。自らの内の見たくないものを、直視しよう。御
霊の光が照らし出してくれる。

いろんな人々が、決して認めたくなかった自分の弱さを認めた時に、
自由にされて行った。隠れたプライド、コンプレックス・・自分の内
にあるものを知る時、癒しが来る。解放される。人に言われて傷つ
く、そこの部分を主の光のもとに出そう。真理を行なうとは、正直
に認めて行くことだ。

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誰しも自分の弱さは見たくないし、認めたくない。しかしその部分
が絶えずナーバスになり、無意識にも防衛してしまう。主はあるが
まま愛して下さっている。そして自由にして下さる。闇をそのまま
にしておかず、光のもとへ行けるよう祈ろう。光により闇は消える。