2018年09月28日(金)

「とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」ヘブル9:14



信仰生活に「良心」が非常に大切だが、良心とはどんなものだろう。
よく、船舶や航空機の方位や進路を測る、羅針盤に例えられる。羅
針盤は正しい方向を示すので、自分の言葉や行ないを羅針盤に照ら
すと、方向違いを教えてくれる。

しかし、その羅針盤自体が正常でなければ、どうだろう。羅針盤が
狂っていたなら、判断も何もかもが狂って来る。羅針盤に故障があ
るように、良心も絶対的なものでなく、教育や環境で培われた価値
観で違って来る。正しいと確信して自爆テロができるし、パウロも
神のためと信じてクリスチャンを迫害していた。

私たちは心に血の注ぎを受けているので、御霊は御言葉により、平
安の有無、促しにより正しく軌道修正して下さる。御霊の促しによ
く聞き従おう。無視し続けるなら良心が麻痺してしまう。良心が麻
痺するなら、どうにもならない。破船になってしまう。どんな立派
な船でも、船に穴が開き水漏れがあると必ず沈没するように、良心
にも穴があり漏れるなら、信仰が機能しなくなる。

心にとがめがある時、確信持って神を信じて行く事ができない。罪
責感がある時、信仰に立てない。罪は、一つ一つ御前に悔い改める
事だ。神は主の血潮により、赦して下さり、良心のとがめはきれい
に消し去られる。その結果平安が臨む。御霊の導きにアンテナを張
り、従おう。その時、正しい良心が保たれて行く。
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主の十字架を仰ぐ時に初めて曖昧な良心が平安になる。善行で外側
を取り繕うのではなく、罪を主に差し出せば十字架によって赦され
ている。何という恵みと希望だろう。