2019年01月29日(火)

「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです」ガラテヤ5:4



御言葉に従おうとする時に、衝突し対立して来るものがある。この
世の価値観や、習慣、考え方だ。一見、常識的に見える。今までず
っと叱咤激励の価値観の中で生きて来たので、一生懸命に頑張る事
が善であり美徳との根深いものがある。救われて神に向き合うや、
これまで以上に真面目で忠実でなければと、信仰生活とは修業だと
思ってしまう。

律法を、御言葉を、自分の力で行なうなら苦しいばかりだ。出来な
い。しかし苦労は善だと思い、むしろ苦しいと安心感があったりす
る。修業とは苦しいものだが、日本人気質に合致する。これら世の
価値観から来ている。しかし、それは神から出ていないと言ってい
る。逆行するものだと。

行ないによって義と認められようとし、行ないによって受け入れら
れようとするなら、恵みから落ちてしまっていると。何かをする事
によって、神に認められようとする事は、もはや恵みではない。キ
リストから離れてしまっている。信仰生活は、苦しい修業ではない。

すでに受け入れられ、完全な神からの愛を受けているがゆえに、嬉
しく感謝なので、自発的、自由意志で神に従って行くものだ。「ね
ばならない」との義務ではいっさいなく、「愛によって働く信仰」、
愛が動機であり、愛に動かされた、自由意志で仕えて行くものだ。
決して強いられてのものではない。そこには自由な喜びと平安があ
る。
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自分が満足する結果のために祈っていることがある。それでは、祈
りも自分を鼓舞する叱咤激励の一つではないか。主の十字架の恵み
に自分の善意でお返しはできない。受けるばかりの者だということ
をよくわきまえ謙遜になりたい。