2019年02月26日(火) 「患難さえも喜んでいます。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」ローマ5:3
「患難さえも喜んでいます。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」ローマ5:3
金や銀は、炉で溶かして精錬し、不純物を取り除く。それは高温の、 熱い炉の中で溶かさなければ、不純物は除去できない。しかし精錬 により除去可能だ。私たちも、内にある不純物を除去するために、 試練の熱い炉で溶かされる。その悩みの炉の中で、自分の弱さや内 側のものがあらわにされる。不純物が浮き彫りにされる。 それは、私たちの不純物を取り除き、精錬するためだ。そのために 試練を通される。その中で、不平不満、愚痴で苛立ち、反抗的思い が湧き、感情的になってしまうかも知れない。普段は知る事のない、 表に出ないそんな自分自身の弱さを知る。しかし耐えられない試練 は決して無い。必ず乗り越えられる試練であり、逃れの道も備えら れている。 信仰人生で、出会う一つ一つの試練は、すべてクリアできると言っ ている。許容量オーバーの試練は無い。これは主の約束だ。しかし その試みの中で、正しい態度が大切だ。屈折したり、逃げたり、い たずらに落ち込むのでなく、主からのものと、信仰持って受け取る 事だ。自分の思い通りでないし、思いとは全く違う。 肝心なのは、自分の思う最善でなく、主の最善であり、主が自分の ために思って下さる最善だ。ご計画がある。主は患難から忍耐を生 み出し、忍耐から練られた品性が生み出され、試練により品性が変 えられ、培われて行く。 ------------ 手放す不純物はなにか、目の前に来た問題を肉の価値観ではなく信 仰の目で見ていこう。悲しく思える試練も失望に終わることはない との御約束だ。試練の中で主に近づき希望をもっていよう。