2019年03月29日(金) 「信仰がためされると忍耐が生じる・・その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」ヤコブ1:2
「信仰がためされると忍耐が生じる・・その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」ヤコブ1:2
試練が試されると、忍耐が生じるとあるが、「忍耐」は言葉的に 「我慢」に思ってしまうが、そうではない。我慢は、思いも感情も 抑え込み、ひたすら苦しみが去る事を待つばかりだ。忍耐と我慢は 異なる。我慢は消極的で、そこに希望が持てない。忍耐は、積極的 な意味合いだ。 忍耐は「耐」が入るので、耐えて、我慢と思うが、そうでなく、 「神が必ず良くして下さる」と信じる事だ。この事が必ず益となり 祝福となると信じ、苦しみの中で主を待ち望む事で、そこには常に 希望がある。「信仰が試されると」とあり、この忍耐は、信仰の試 練から生じる。もしあなたの親友が、待ち合わせ時間に遅れたら、 どうだろう。 嘘をつかれた、裏切られたと思うだろうか。決して思わない。何か 突発的な事情ができたと思うのではないか。これは親友との間に信 頼関係があるからだ。主に対しては、主との信頼関係はどうだろう。 今、苦しいが、主は必ず良くして下さると、待ち望み続けること、 そこに忍耐が生まれ、それが、私たちの信仰を成長させる。今のこ の苦しみの状況を、主は必ず良くして下さると信じる。 そして結果的に、必ずそうして下さる。何であれ万事益になる事を 見て行く。この繰り返しの中で、主への信頼が深められて行く。信 仰が試される事によって、主との関係が強められて行く。今、試練 なら、主との信頼関係が深められるためだ。主にありのままの気持 ちを祈り、御声を聞こう。 ------------ 試練は辛い苦しい時だが、振り返ると確かに主に支えられていたと 言える経験をする。勇気をもって試練を受け入れよう。すでに主は、 信仰で歩む道を備えてくださっている。