2019年09月28日(土) 「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サ タンがはいった」ルカ22:3
「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サ タンがはいった」ルカ22:3
主は、今まで愛し導いて来た弟子たちに、その愛を残るところなく、 完全に、最後まで示された。自分のものを「極みまで愛され」「愛 し通された」。それで、主は、手ぬぐいを腰にまとわれ、かがんで 弟子たちの足を洗われた。そこにユダもいた。今から裏切るであろ う事を知った上で、ユダの足を洗われた。 ユダをも最後まで愛し通された。主が捕らわれた時に、ペテロも主 を裏切った。3度も呪いをかけ誓い「あんな人を知らない」と。そ してペテロだけでなく、弟子たちは皆、イエスを見捨てて、逃げ去 った。皆、逃げる事になる。その先の事もわかった上で、主は皆の 足を洗われた。これからの事をわかっていて、尚かつ極みまで愛さ れた。 しかしながら、ユダとペテロは違っていた。ユダは後悔したが、主 のもとへ行かず、どこまでも主に頼らず自分で片をつけた。ペテロ も後悔したが、主のもとにとどまり、すぐに悔い改めた。他の弟子 たちも復活の主のもとへと戻って来た。 「さて・・ユダにサタンが入った」とあるが、悪魔は勝手に入れない。 ユダは悪魔の方を選んだ。徐々に悪魔に心を開いて許して行った。 主はユダをも極みまで愛されたが、ユダは主を選ばなかった。自分 の思い描いていた主と違ったのだろうか。 主のそばで3年間、ずっと御言葉を聞いた。主のわざも見た。その 上で自分が選んで計画したユダの意志だった。サタンのふるいを通 ったペテロは、後に「身を慎み、目をさましていなさい・・敵である 悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求め て、歩き回っている」と記した。お腹をすかせたライオンが獲物を 狙っている。目を覚まし、主に拠り頼み、心して祈っていよう。 ・・・・・・・・・・・・ 天に帰るまでは、この世では、ずっとサタンとの霊的戦いであるこ とをわきまえていよう。主の御声をなおざりにしていると、少しづ つ霊的に鈍くなって行き、少しづつサタンに足場を与えてしまう。 「従います」の姿勢で、御声に真剣に耳を傾け、心に御言葉を宿し ていよう。サタンから主により守られる。