2019年12月29日(日)

「私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良 くしてくださったからだ」詩篇116:7


あなたも疲れ果てる事があるだろうか。ある人が過労状態だった。
休みたいが、仕事で休暇も取れず、ダウン寸前だった。そんな中、
やっと休暇が取れた。休息ができる事に、もう大喜びだった。その
休暇に入った途端、バッグを置き忘れ、無くしてしまったのだ。ガ
ックリし、通った道筋をたどり、念入りに探し、関係者に尋ね回り、
電話確認もするが全く見つからない。

紛失届けを出し、カード類はすべて差し止め、対応に奔走、疲労こ
んぱいだ。財布にはかなりお金も入っていて、意気消沈した。運転
免許証には困り、どうしても必要で再発行に出かけなければならず。
結局バッグは見つからず、もう疲れ果ててしまった。せっかくの喜
びの休暇が、更に疲れてしまい、これは一体何だったのか。

やっと主の御前に行き、心を静め、祈った。そして御心を尋ね求め
た。その時、どんなに時間があったとしても、主の平安が心になけ
れば、休めないし、何にもならない事を思い知らされ、教えられた。
休息の時間の問題ではなく、主との関係の問題だった。主の下さる
平安がどんなに素晴らしいものか、感謝な事かに改めて思いが至っ
た。

今一度主との交わりにより、心に平安が戻り、息を吹き返せて、心
から感謝した。私たちも同様だ。どれほど休暇があっても、主の平
安が無く、思い煩いや心配で一杯なら休養にならない。主がすべて
の思い煩いや心配事を受け止めて下さる。主の平安に今一度戻ろう。
そして、平安のための十字架を覚え、いっさい主に心配をお委ねで
きるよう祈ろう。

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主だけが与える事の出来る、「主の平安」に代わるものは何も無い。
時間があっても、富があっても、主の平安が無ければ、心は虚しい。
平安は、主との交わりから来る。心がざわついたり、不安があれば
主のもとに行き、親しく交わろう。平安と喜びが戻る。