2021年02月26日(金) 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4
私たちは新しく生まれ、霊の目が開かれ、主との生きた交わりに入 れられた。主との人格と人格の交わりを経験し、日々に交わりを積 み重ねながら、少しづつ〃親しく主を知って行き、交わりが深めら れて行く。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」「わたしはあな たを愛している」と言われる主を、時間をかけつつ実感が深められ て行く。 私たちは、誰が何と言おうと、何があろうと、この主に受け入れら れ、愛されているので、喜びがあり、平安がある。しかるにこの世 では、人が、自分を量る場合に、「量り」が無いので、量りようが なく、そのため目に見える他人との差異により、自分を量ることに なる。そのため生まれた時から、無意識にも人との比較で自分を量 って生きて来た。 人より劣ると劣等感、人に優ると優越感となる。常に目は横を見る しかないので、自然にそのように自分を量ることになる。そこから 解放され、上を見上げて生きる事のできる救いを与えられた、クリ スチャンもまた古い性質が残っているので、神を忘れると、すぐさ ま人との比較に生きてしまう。そこから羨望や妬みが生まれ、心に 苦みが生じ、苦しむ事になる。 人は自分に無いものを求めると言われている。自分と違う境遇、生 育歴、才能、人気・・自分も〜のようであればと妬む。しかしそれ なら自分を否定する事になり、更には主を否定する事になってしま う。そこには不満、虚しさで、喜びも平安も無い。主の言葉を受け とれるよう祈ろう。嬉しさでいっぱいになり、喜びの中を歩める。 ---------- 世に出ればクリスチャンは圧倒的な少数派だ。人とはどうしても違 う。人との比較や人との関わりの前に、主との交わりにあって歩み を確かにされる。私達も主を愛し歩もう。