2021年04月28日(水)

「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなけれ ばならない」出エジプト14:14



様々な信仰の勇者たちが、信仰による戦いを戦ったが、その主によ
る方法は、人間的に見るなら、意味をなさないようなやり方だった。
指導者モーセは、出エジプトを果たしたのだが、エジプト軍の追っ
手にどんどん迫られ、とうとう前は、断崖絶壁の紅海となり、前進
も後退も出来ない絶対絶命の状況に陥った。

その時、主は、祈るモーセに、何と「恐れるな。イスラエルの民に
前進するように言え」と。モーセがその通りに従うと、目の前の紅
海が分かれ、道が出来た。又、難攻不落のエリコの高い城壁を前に、
ヨシュアは、町の周りを回るよう命じられた。6日間町の周囲を1
度周り、7度目に7度回り角笛を吹き、大声でときの声をあげよと。
その通りに従うと城壁は崩れ落ちた。

又、ダビデは、無敵の巨人ゴリアテに向かい、剣や槍でなく、石投
げで石を打ち、見事に倒した。彼らが戦いに勝利したのは、主の示
された方法に従ったからであった。人間の思いでは、目の前の状況
は絶体絶命、不可能な中、そんな事をして何になるとの、不可思議な
方法だった。しかし主の示し通りに従った時、主の奇跡が現わされ
た。

「この戦いは主の戦い」まさに人間のものでなく、主の戦いであっ
た。私たちも時々理解を超えることがある。どう見ても不可能に見
える事もある。しかし主を信じて従う時、主の栄光を拝する。目の
前の一歩一歩を主を仰ぎ、御霊の方法に従う事が大切だ。御霊は
確実に導かれる。とにかく主の方法に従う時、それは主の戦いとされ
る。

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自分の思いで、自分から発した事は、自分の戦いになる。それが
御霊の実を結ぶ事はない。しかし、主から発した事、主の示しに従う
時、それは主の戦いとされる。主の戦いであれば、必ず主のみわざが
現われる。主との交わりの中で、主に伺いながら、一歩一歩進もう。