2021年06月28日(月)

「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」マタイ7:3



「梁」は大きな丸太であり、屋根を支えるため、柱と柱の間に渡す
横木の事だ。「ちり」は非常に微少のもので、よく見えないほどの
ものだ。他人の極小のちりは見えるが、自分の目にある丸太は見え
ないと言っている。人のあら探しをし、裁く思いが丸太であり、そ
の思いは、目を見えなくしてしまう。

人を裁く思いが心にある時、正しく相手を見る事ができず、目が歪
んでしまう。相手には確かに不足があるかも知れないが、自分の裁
く心に比べるなら、相手のものはちりみたいなものだと。主は「見
なさい。自分の目には梁があるではないか」と。梁があると言って
いる。自分に相手を裁く心がある事を認めよと。

それは、自分は正しいとするので、裁く事になる。相手よりも、立
派な人間だと思っているので、相手の弱さを裁き、責める事になる。
又、例えば、私たちが、良く思っていない相手について、悪い情報
を聞いた時に、どうだろう。心密かに喜ぶ思いを持つなら、裁く事
になる。

嫌な相手、妬ましい相手が失敗した時はどうだろう。快感を感じる
なら、それも裁く事になってしまう。相手のちりを見る、自分に梁、
丸太がある事になる。どうすればよいのか。「まず自分の目から梁
を取りのけなさい」気づきが与えられる時に、裁く自分の姿を見せ
られ、へりくだらされる。悔い改め、主の赦しにあずかれて、主の
前に正しくされる。

そして今度は、相手のちりを取るために、主が用いられる。「はっ
きり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」自
分に梁が無いので、ちりもはっきり見えて、取り除くことができ、
そのために用いられる。
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人の間違いはすぐに見つけるが、自分の目の梁には気つかない。
裁く心に気づいたら主に悔い改めよう。人を裁く自分に気づき、
自分をまず裁けるのが何よりも感謝だ。主の赦しにあずかろう。