2022年04月28日(木)

「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます」 ヨハネ10:3



この世には様々な声があり、混線している。自分の肉から湧く欲の
声、悪魔の攻撃や誘惑の声、TVやネットや世の価値観の声、その
中に最も大切な主の御声がある。主は羊飼いで、私たちは羊とある
が、羊は近視眼的で、目の前のものしか見えない。方向音痴で、美
味しい草をあさっている内に迷子になる。

自分がどこにいるかわからない。私たちも羊のように迷いやすい者
だ。目の前の美味しいものに、よく考えず、祈りもせずに食いつい
てしまう。それは自らの欲と合致しているので、なかなか見分けら
れない。物質的なものであれ、精神的なものであれ、自分に得にな
る話は受け入れてしまい、美味しい話に釣られてしまう。

自分の損得で判断するので道に迷い込む。主が中心なら「主の御心
は?」「主の喜ばれる事は?」が判断基準になり、守られる事にな
る。自分に都合の良い声だけを聞くなら、自分に痛い、厳しい、罪
を指摘したり、いさめる声は聞きたくない。拒否してしまう。

主は甘い話で釣られるのでなく、はっきりと語られる。「自分の十
字架を負ってわたしについて来ない者は、弟子になることはできな
い」「自分のいのちまでも憎まない者は弟子になることはできな
い」
。しかし主の御声を聞き分ける羊は、主について行く。

主の羊は、主の御声がわかるからだ。羊はその声を聞き分けると。
そこには確かな、後悔の無い平安がある。様々な声の中に、一つ真
実な主の御声がある。その御声に従おう。
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一日中、様々な声に追い立てられるが、大きな声、自分の都合の良
い声の方に流されていないかよく気を付けたい。主は御言葉を離れ
ては導かれない。主に尋ねながら主の声を聞き分けたい。