2022年08月29日(月) 「そのとき、主がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は主の使 いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た」 民数記22:31
「そのとき、主がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は主の使 いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た」 民数記22:31
ろばがものを言う、という有名な箇所だ。バラムは、ろばが進まな いので、3度も杖で打った。しかし何と主の使いが、ろばの前に抜 き身の剣を持って、立ちふさがっていた。そのためろばは、動けな かった。ろばは「私を3度も打つとは」とバラムに抗議した。 その時バラムは、主に、目のおおいを除かれたので、主の使いが、 剣を持ち立ちふさいでいるのを見た。「敵対して出て来たのはわた しだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ」と。実は ろばでなく、主が阻止された。私たちは苦しい事は、何とか逃れた いと思う。 だが主は、私たちが間違った方へ進む時、道をふさがれる。私たち を停止させるためだ。それは偶然でなく、主の御手による。目の前 の相手や周囲を責めるのではなく、主を認める事が大事だ。その状 況で、主のメッセージがある。それを受け取ろう。何を教え、何に 気づかせたいのか。 今、行く手が阻まれていたら、まずそこに主を認めよう。御心とは 反対に向いているのかも知れない。主はバラムに「彼らと一緒に行 くな。その民を呪うな。祝福されているからだ」と言われた。それ なのに、出て行くバラムに、主の使いが立ちはだかったのだった。 もし進路が閉ざされたなら、「あなたの行く所どこにおいても、主 を認めよ」、そこに主を認め、自分の思いを通すのでなく、御心を 尋ねよう。更に素晴らしい別の道へと導いて下さる。 ------------ 主の御心を知っていても、本音では逆の方向への思いを通したい。 主の介入を通して初めて目が開かれる。私たちは迷いやすい。いつ も最善の道に導かれる主に明け渡し歩みたい。