2022年10月29日(土)

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの 知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」エレミ ヤ33:3



ある人が、父親が老齢となり、悩み抜いた末に仕事を辞し、都会か
ら田舎に戻る決心をした。小さな店だが何とか充実させ、拡げて行
きたいと、そのための勉強もし、努力を重ね、懸命に働いた。少し
づつ実が見え始めた頃、近くに大型店が出来た。もうどうやっても
太刀打ちできず、店を畳む事になった。ひどい失望落胆に襲われた。

仕事を辞めてまで戻り、頑張って〃懸命に働いたのに、「なぜ?こ
んな事に?」。虚無感に襲われた。これからどうすれば良いのか、
何もかもを、ことごとく祈りに持って行った。とにかくしばらく祈
ろうと、心の思いも感情も主に告げ、又、現状も告げ、祈った。そ
んな中、思っても見ない展開に。何と神学校へ行き聖書を学ぶよう
導かれたのだ。店を畳み、フリーの身になったからこそ出来る事だ
った。

ある人も自営業の中、やはり大きなライバル店が、すぐ近くにでき
て、みるみる赤字がかさみ、もう無理で、店を畳んだ。持ち家を売
却し、借金はすべて返済できて、どこにも迷惑をかけずに済んだ事
が感謝であった。しかし、熟年であり、これから先どうすれば良い
のか。何のすべもなく、主に呼ばわり、ひたすら祈りに祈った。

するとそんな中、子どもからの誘いが来た。田舎で家賃も格安で、
すべてに安く住みやすい。来ないかと。自然は素晴らしく、孫とも
楽しく、主は新たな生きる喜びを下さった。私たちも突然の行き詰
まり、失意、挫折を経験する。しかし主にはご計画がある。備えが
ある。「災いではなくて、平安を与える計画」の通りに、道が備え
られている。まず主を呼ぼう。

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「主の山の上に備えあり」は真実だ。どんな時も、どんな場合も必
ず主の備えがある。試練の時は、見えるところは、失望落胆、絶望
のように思えるが、生ける主がおられる。不思議な展開を経験して
行く。信じて行こう。