2023年01月29日(日) 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに 加えて、これらのものはすべて与えられます」マタイ6:33
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに 加えて、これらのものはすべて与えられます」マタイ6:33
私たちは心配症だろうか。人は、多くは悲観的に傾くと言われてい るが、先のあの事この事が不安だろうか。目の前の事、明日や1ヶ 月先の事・・不安でたまらない。大丈夫だと思おうとするのだが、不 安がおさまらない。主がおられるから大丈夫、必要は必ず備えられ ると励まされても、どうしてもだめなのだ。 教理上、頭ではわかるのだが、先は見えないので、恐れと不安がど うにもならない。明日の不安に押しつぶされ、今日なすべき御心を 行なえない。しかし「神の国とその義とをまず第一に求めよ。そう すれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられる」。「ま ず」神第一にして行くなら、食物、着る物・・生活の必要は「すべ て」与えられると。 そして心も満ち足りる。ところが不安の余りこれを逆にする。添え て与えられる「これらのもの」を第一にして、主を脇に置いて自分 で走り回り、主を後回しにしてしまう。その結果、更なる思い煩い と不安に支配され、「神」も「これらのもの」もどちらも見失なう。 肉は、自分で自分を守ろうとするので、焦って、まず自分で何とか しようとする。心に平安は無く、すべてが自分の肩にかかるので、 重く苦しいばかりだ。「まず」主を仰ぎ、主に祈ろう。「心配無 用」「いっさい思い煩うな」「思い煩いをいっさい神に主に委ねよ、 神が心配して下さるから」。まず不安と恐れを主に告げよう。主が 祈りを与え、導かれる。 ・・・・・・・・・・・ 何かが起きると、主が飛んで、目の前の事に飲み込まれ、走り回っ てしまう。頭は、あれやこれや方策を考え、忙しく巡り、不安でた まらない。まず、主を第一に、動き回らずに祈ろう。「やめよ。わ たしこそ神であることを知れ。」