2023年09月28日(木)

「してみると、あなたがたは、悪い者であっても、自分の子どもに は良い物を与えることを知っているのです。そうすれば、なおのこ と、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良 いものを与えないことがありましょう」マタイ7:11



主は、求めよ、そうすれば与えられると言われ、どんな時にもまず
祈れ、わたしを呼べと言っておられる。自分の子どもが、パンが欲
しいという時に、石を与える親がいるだろうか。子どもが魚を欲し
いという時に、どの親が、蛇を与えるだろうと。親は子どもを愛し
ているので、必ず良いものを与えると。

そのため、祈って行くが、そんな中で、ある事を経験する。求めが
あり、祈っているのだが、なかなか祈りが答えられない。幾ら祈っ
ても答えられず、壁にぶつかっているように感じてしまう。そし
て、むしろ状況は反対方向へ、悪い方へ向かって行く。一体どうな
っているのだろう。パンを求めているのに、石が出て来る。魚が欲
しいのに、蛇が出て来る。そんな経験があるだろうか。

アウグスチヌスの母モニカの、涙の祈りは有名だ。息子が異教に走
り、ひどく不道徳な堕落した生活をしていた。母は、「涙の子は決
して滅びることはない」と教えられ、息子のためにひたすら祈り続
けた。祈るのだが、しかし祈るほどに、見えるところは、ますます
悪くって行く、息子は更に堕落して行った。

だが、涙の子は滅びないと、祈りを信じることができ、見えるとこ
ろ逆になって行っても、尚も、祈り続けて行った。そしてとうとう
息子に、回心が与えられた。祈りということの中にも試練があり、
試される。祈りを続けよう。祝福の一歩手前かもしれない。
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待ち望むという希望がある事は感謝だ。忍耐して祈ることが出来
る。求める者に主が与えてくださるのは常に最善だ。この確信があ
るから今日も求めて、捜して、たたいていける。