2024年11月28日(木)

「彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言 うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう』」 マルコ4:41



主が「向こう岸へ渡ろう」と言われ、弟子たちは、舟で主をお連れ
した。すると途中で激しい突風が起きて、舟は波をかぶって、水で
いっぱいになった。だが主だけは、嵐の中で平然と熟睡しておられ
た。弟子たちは、主を起こし、「私たちが溺れて死にそうでも、何
とも思われないのか」と叫んだ。弟子たちは、すねた、屈折した物
言いだ。

その態度は、主を主として崇め、愛し、へりくだった求めではなく、
「自分たちの願いを、自分たちの思い通りに叶えよ!」と、まるで
主に命じているような、言い方だ。私たちはどうだろう。自分の願
望通りに叶えてくれる神、都合良いようにしてくれる神、それを求
めて、神に従っているのだろうか。自分が主人で、自分の願望充足
の神を求めているだろうか。

神に仕えるのでなく、神に仕えさせようとする。「主よ、何とも思
われないのか」は、自分たちを助けるべきだ、助けて当然だ、助け
ろよ、と言う事だ。罪の性質のため、信仰においても、自己中心に
なってしまう。しかし、どうであろうと、主の愛は決して変わらず、
愛し続けて下さっている。

そのような中で、湖をひと言葉でしずめ、大なぎにし、自然界をも
支配する、主であることを現わされた。弟子たちはどんなに驚いた
ことだろう。私たちも、突如の試練により、様々な出来事により、
自らの本当の姿を見せられる。砕かれ、御霊の気づきが与えられる。
正され、変えられて行く。いろんな出来事の中で、成長させて下さ
っている。
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様々な願いを持って日々、祈っている。主は何とも思われないのか
でなく、主はこの思い、辛さを知っていてくださると見ていきたい。
主は必ず気づかせてくださる。成長していこう。