2025年01月29日(水) 「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌ってい ると、ほかの囚人たちも聞き入っていた」使徒16:25
「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌ってい ると、ほかの囚人たちも聞き入っていた」使徒16:25
パウロとシラスは、宣教活動で捕らえられた。着物をはいで、むち 打たれ、何度も打たれて投獄された。暗い牢獄の中で、足かせに拘 束され、むち打たれた身体に走る激痛。その中で、彼らは、わめい たのでなく、不満や落胆、ぐち、いら立ちでも無かった。彼らは 「神に祈りつつ賛美の歌を歌って」いた。 すると他の囚人たちが聞き入っていた。その状況で、不平も不満、 怒りではなく、湧き上がる賛美に、囚人たちは、驚いたことだろう。 ただ者ではない。いまだかつて見たことのない光景だった。すると 地震が起きて、戸が開き、鎖がはずれた。しかし囚人たちは誰一人 逃げず、彼らに従った。星野富弘さんは、脊椎損傷のため、首から 下は動かない身体になってしまった。 深い苦しみと悲しみ、絶望の中にいたが、聖書に触れ、救いに入れ られた。主に出会い、人生が一変した。ある時、口は動くので、絵 筆を口にくわえて、花の絵を描き、花々の絵を描き続けた。この絵 と心から湧き出る詩が、多くの人々の心に響き、深い感動を与えて いる。傷ついた人々の心を癒し、温めている。神を信じたからと、 奇跡的いやしがあったわけではない。状況は何も変わらない。 神を信じても良い事はないのか。いや、そうでなく、逆に彼が不自 由な身体という御心を受け入れ、その中で感謝して精一杯生きてい るから、人々を励まし、引き上げて行く。十字架を嫌い、避け、逃 げるのでなく、十字架をしっかり負い、御心を受け入れて生きる時、 それは周囲の人々への証しとなり、誰かの心を捕らえて行く。 ----------------- 時が良くても悪くても、主によって変わらない喜びがある。外から 来る喜びではない御霊による喜びだ。主に従っていくとき、いつで も自分の十字架があるが、主は恵みをもって支えていてくださる。