2025年03月29日(土)

「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは永遠の いのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の 聖者であることを信じ、また知っています」ヨハネ6:68



私たちは、どんな動機で主を信じ、従っているだろう。主は、主
を求め、従って来る者を決して拒まれない。しかし、自分の欲求
を満たして欲しい、自分の願うものを与えて欲しい、それならど
うだろう。その願いが、主の御心と一致しない時に、遅かれ早か
れ、主のもとを去る。自分の思い通りにならないからだ。弟子た
ちもそうだった。

弟子たちの多くの者が離れ去って行き、もはや主と共に歩まなか
った。主が、自分の思いと違ったからだ。その時、主は十二弟子
に言われた。あなたがたも、離れたいと思うのではないでしょうと。
しかし真に、主に従いたいと願う人は、自分もまた利得のために、
主に従っていることに気づいた時に、離れるのではなく、気づけた
事に感謝する。そしてそこで悔い改めて、軌道修正され、従って行
く。

彼らは、主の「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は」「わた
しの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物」との言葉
につまずいた。「これはひどい言葉だ、誰が聞いておられようか」
と。自分の思い、経験値、既成概念の中で、到底受け入れられ
ない。どこまでも自分軸で、自分の知識理解を超えると主を捨てて
しまうだろうか。

そうでなく、わからないなら、主に教えて頂くことができる。「わか
りません。教えて下さい」と主に祈ろう。主は教えて下さる。そし
て信じ、従って行く時に、この教えが神から出たものとわかる。

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様々な出来事が起きる時、いつもへりくだりを試される。自我
が強いと自分の思い通りにならなければ、主を責め、主から離
れる。自分が強いと主が見えない。やみになってしまう。ありの
ままの状態を祈ってみよう。主は常にあわれんでいて下さる。