2025年04月28日(月)

「ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして・・ヨハネの 兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、 次にはペテロをも捕らえにかかった」使徒12:1



ヘロデ王がヤコブを殺害した。するとユダヤ人に気に入られたのを
見て、次はペテロ殺害に向かった。ペテロを捕らえ、投獄し、処刑
しようとした。しかしペテロは、主の御使いにより、奇跡をもって
牢から救出された。「教会は彼のために、神に熱心に祈り続けてい
た」とあり、教会ではヤコブの時も、ペテロの時も同じく必死に祈
られた。

その結果ヤコブは処刑され、ペテロは救出された。「なぜ?」と思
う。しかしこれは、ヤコブとペテロ、各々に対する、主のご計画で
あり、召しだ。ヤコブは殉教により、神の栄光を現わし、ペテロは
更なる宣教の任務により神の栄光を現わす事となる。ヘブル11章に
も「ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、強くされ、
戦いの戦士となり、陣営を陥れた」ある人々は、驚くべき奇跡によ
り進軍して行った。

そして同時に、ある人々は「牢に入れられ、石で打たれ、のこぎり
で引かれ、剣で切り殺され、乏しくなり、苦しめられ」と殉教して
行った。結果は大きく異なるように見えるが、どちらもが「信仰に
よって」歩んだ。私たち一人〃も、神から与えられたご計画が全く
違う。それぞれ全く別々の使命、召しがある。

「あなたは、わたしに従いなさい」のように、隣の人は関係無く、
「わたしに」、主を見て、主に従おう。自分に与えられた人生、自
らに備えられた御心を歩む事が、私たちの最大の喜び、平安であり、
主の栄光が現われて行く。
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生まれた場所も与えられた環境もそれぞれに違う。人を見て羨まし
いと思えても、やはり自分に注がれる主のご愛と恵みをしっかりと
感謝していたい。主を見上げて従いたい。