2025年05月29日(木) 「その町の名は、バベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで 混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散ら したからである」創世記11:9
「その町の名は、バベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで 混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散ら したからである」創世記11:9
最初、全地は一つ言葉だった。相互交流でき、意思疎通ができた。 その頃、人々は移動し、平地のシヌアルに定住した。主かられんが を作る技術が与えられ、れんがと瀝青で建築物を作る事ができた。 巧く対話でき、肥沃な地に建築技術も与えられ、すべてが主の恵み であった。だが「その内に彼らは、天に届く塔を建て、名をあげよ う」と言い出した。 主に感謝し、栄光を主に帰するのでなく、自分の名をあげ「自分」 が神の位置に座ろうと。主を締め出し、与えられた能力を、自分の 使い、自分が、自分の、自分のため・・。主に信頼するのでなく、自 分の力を誇って行った。これがアダムからの罪だ。「その内に」と あり、最初は主を覚え、良かったのだが、少しづつ向きが狂った。 自分の知恵と力でやり始め、更に主は、ノアの洪水後、「地に満ち よ」と言われたのに、その逆の「全地に散らされるといけないから」 と。主に背き、一つ所にいるためだった。そこで主は言葉を乱され、 意思疎通を不可能にされた。その結果、混乱し、塔建築は出来なく なり、「彼らは建てるのを止めた」、失敗した。主が介入され、阻 止された。 そして人々は、結果的に全地に散らされた。原因は高慢あった。私 たちもどうだろう。言葉が、気持ちが通じない時、そこに主を忘れ、 「自分が〃」の高慢がないか。「主のみ思い」が第一でなく、「自 分の気持ち」が第一だろうか。そこから分裂と争いが生まれる。ま ず主の前にへりくだり、主を第一にする時、必ずそこに御霊の一致 がある。 ------------------- 同じ言語であっても、気持ちが通じない事が多い。相手にも自分が があると、分かり合おうとするときに謙遜にさせられるのではない か。主に頼り御霊により一致を祈ろう。