2025年07月29日(火)

「私の時は、御手の中にあります」詩篇31:15




天の下では、何事にも定められた「神の時」がある。そして主のな
さる事は、時にかなって美しい。早くも遅くもなく、ピッタリの神
の時がある。私たちの祈りが答えられる、最善の時があり、私たち
のなすわざにも、最善の時がある。それなら信仰人生において、そ
の「神の時」を待ことが非常に重要だ。

私たちは誰しも、待つ事が困難で待てない。待つ事が苦手だ。動く
方が楽だし、何かしている事で、安心できる。じっと待つ事は、不
安や恐れ、焦りとの戦いだ。アブラハムも待てないで、失敗した。
75歳の時に子を与えると、御言葉を受けたが待てずに、86歳の時に
自分の思いで動き、女奴隷によりイシマエルを得た。

肉の行ないは、秩序の乱れ、混乱と妬みや争い、根深い問題を引き
起こした。100歳の時に、約束の子イサクを得た。エリメレクとナ
オミも、飢饉の時に、忍耐して主を待ち望む事をせずに、自らの思
いで、家族の幸せのため、偶像の地モアブに移住した。家族の幸せ
を求めたが、夫も息子も亡くし、多くの苦しみを刈り取る事に。

今、待つ時なら、「あなたがたの確信を投げ捨ててはならない。そ
れは大きな報いをもたらす」「神のみこころを行なって、約束のも
のを手に入れるために必要なのは忍耐」だ。神の時でなければ、焦
っても物事は動かない。逆に神の時には、微動だにしなかった事態
が、驚くほどにっ動き、物事が実現する。焦らず、思い煩わず、神
の時を待とう。待てるように祈ろう。主は、私たちの心を守り、忍
耐を与えて下さる。
----------------
私たちは主の時の中に生きている。主の導きを信じ、導きがよく悟
れるように祈っていよう。もし今ではないなら、失望せず次を待ち
望める。待っている時も感謝だ。