2003年05月29日(木) 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Tヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Tヨハネ4:10)
福音を伝える時に、罪について説明をし、「罪がある事 がわかりますか」と聞くと「はい、でもそんなにひどい罪 だとは思えません。良い人間の方だと思います」と言う。 また、言わないにしても、心ではそう思っている。 神は「義人はいない。一人もいない」と言われた。 どんなに善人に思えても、私たちは皆悪い罪人だ。 心の奥底を正直に見るなら、すべての人は自己中心だ。 罪の性質があるからだ。外側がどんなによく見えても、心 の中は醜く、自分しか愛せないような者だ。自分を偽らず、 真実な姿を聖霊様が見せて下さるなら認めざるを得ない。 しかし、神はありのままの私達を自己中心で、自分しか愛 せない者を愛して下さったのだ。全くの無条件の一方的な 不変の愛で。