2025年12月29日(月)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」 マタイ5:3




主は、心の貧しい人は幸いだと言われた。経済的貧しさでなく、
「心の」貧しさだ。乞食という意味合いだ。「貧しい」という言葉
が、好きでは無いだろうか。この世では、心が貧しいとは、人格的
に劣るとの印象だろうか。しかし正直に、自らの内側を見るとどう
だろう。ある人は、ずっと一緒に勉強して来た友人が受験合格、自
分はだめだった。

落胆で身体中の力が抜け、呆然だった。相手が羨ましく妬ましくて
仕方が無い。お祝いが言えない。どうしても出来ない。悶々状態だ。
しかし自分はクリスチャン、平安無く、このままで良いはずもない。
ありのままを主に祈った。すると祈った後、不思議に一言だったが、
お祝いを送信できた。そして心に平安が来た。相手は、誰よりも一
番嬉しかったと、思いのほか喜んでくれ、証しにされたようで感謝
だった。

私たちも、内側を探ると、どうだろう。人の幸せを、喜びを真に喜
べるのだろうか。羨ましさが先立ち、自分はと、自己憐憫に陥るだ
ろうか。シーソーになり、人がほめられると、自分がだめに思えて
しまうだろうか。全く関係無いのだが。又、人の事に真に関われる
だろうか。労力、時間、金銭の犠牲が払えない。

しかし自分は良い人間だと思いたいし、愛が無いなどと思いたくな
い。だが霊の成長は、必ず「現状を認める」事から始まる。愛が無
い、妬み深い、プライドの高い自分、「実はみじめで、哀れで、貧
しく、盲目で、裸」。貧しい事を知る事が、大きな祝福だと。そこ
に御霊が力強く働かれ、愛が与えられる。御霊が成し遂げて行って
下さる。
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様々な取扱いにより、足りない自分を見せられる。その度に、弱さ、
醜さを御前にうちあけて助けを求められる。目を背けていれば裸の
ままだった。なんと感謝だろう。一つ一つ主から与えられる。