2026年03月29日(日) 「しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってくださ い。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません」ヨブ 1:11
「しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってくださ い。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません」ヨブ 1:11
悪魔は、絶えず私たちを虎視眈々と狙い、攻撃をしかけて来る。 悪魔はヨブを攻撃した。しかし、それは主の許容範囲内だった。 主が悪魔に命じられた。持ち物は許可する。しかし身体は許さな いと。次には、身体に触れるのは良い、しかし命には触れるなと。 主の主権のもと、主が定めた限界内でしか、悪魔は働けない。悪魔が どう攻撃して来ようと、最終的権限は主にある。 つまり、目の前に起きる一つ〃の事が主から来ている。偶然や不 運ではない。雀一羽すら、父のお許しなしには地に落ちない。人 があなたを非難し、敵対しているかも知れない。しかし目に見える 状況に反応すると、相手への敵対心、憎しみ、怒りとなる。不平と 不満、対抗心で一杯になる。しかし、それは的はずれだ。人しか 見えていないが、その相手を置かれたのは神だ。そうであれば、 対応が違ってくる。 悪魔は私たちに向かい、攻撃して来る。しかし、主権者である主は、 悪魔すら、あなたの益のために、成長のために利用される。すべての 最終的主権は主にある。それを認めること、受け入れることが信仰 だ。ヨブは、悪魔の攻撃により、一夜にして全財産と子どもたちのす べてを失った。 しかし、それらすべてに主の主権を認め、受け入れ、「主は与え、主 は取られる。主の御名はほむべきかな」と、ひれ伏し礼拝した。主を 賛美し御名を崇めた。ヨブの信仰だった。どんな状況でも、主の御名 を崇めて行く事、これは感情でなく、信仰だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 信仰人生で、「主は与え、主は取られる」を経験して来た。しかし、又、 与えて下さった。主は善いお方だ。信じて行きたい。必ず試練はあるが、 確かな益となって、みわざが成された。それがあったからこそ、今がある と思える。信仰に立てるよう祈ろう。