2026年05月29日(金)

「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から 来るのであって、光を造られる父から下るのです」ヤコブ1:17


主イエスが来られた時に、それまでヨハネに集まっていた人気と賞
賛が、どんどん主の方へと移って行った。ヨハネの弟子たちは「み
なあの方のほうへ行きます」と、自分の師を思うがゆえに、いらだ
ち、妬み、寂しさを感じていた。しかし、ヨハネは全く動じること
無く、立派だった。

自分はキリストではないと言明し、主が花婿で、自分は花婿の友人
であり、花婿の声を聞いて喜びに満たされていると。ヨハネは、人
や人の思惑は関係なく、自分と主との間で、喜びと平安を持ってい
た。真に主に仕える者は、喜びに満たされる。そして、ヨハネはへ
りくだった人だった。

自分と人を比較するなら、優越感や劣等感に陥る。同期の同僚の昇
進はどうだろう。学生間の成績や人気、又、ライバルの成功はどう
だろう。心穏やかでいられない。プライドが傷つくのだ。人の成功
は、自分の失敗のように感じてしまい、認められない。人が誉めら
れと、自分が、けなされたように感じる。まるでシーソーだ。相手
が高くなると、自分が低くなる。その根っこは高慢だ。

ヨハネはへりくだっていた。人の誉れも成功も、天からのものであ
り、そこに主を認め、その主権を認めた。天からでなければ、何も
受けることはできないと。主が与えて下さるものに感謝し、満足し
た。そこに不平も不満もない。すべての事柄に、主の主権と支配を
認める時、心に揺るぎない平安が臨む。へりくだった人に与えられ
る恵みだ。
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平安に過ごしたくても比較に陥ると途端に苦い思いになる。御霊に
導かれて、新しい価値観に歩めることを、たえず主に感謝していた
い。主を見上げ、力強い御手の下で安んじていたい。