2026年10月29日(木)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のもの だからです」マタイ5:3


御言葉は、物質的なものでなく、「心の」貧しい者と言
っている。私たちはどうだろう。自分は心豊かな者では
ないが、貧しくも無いと思いたい。「貧しい」という言
葉に、偏見があるかも知れない。ここでの貧しいとは、
乞食という意味だ。しかし自らの内側を、よくよく照ら
されるとどうだろう。

多忙な日々に、普段余り考えもしないが、改めて心探る
時に、心底、他人に同情出来るのだろうか。他人より自
分の事で、悩みで精一杯だ。人の喜びを、幸せを、本当
に喜べるのだろうか。入試に友人は合格で、自分は不合
格ならどうだろう。羨望、妬みが生じてしまう。幸せな
人を見ると、内心は羨ましくて仕方がない。

引きかえ自分はと、自己憐憫に陥り、不満を抱く。他人
の心に、真に寄り添えない冷淡さがある。普段、考えず、
突き詰める事もない。漠然と、あいまいに通り過ぎてい
る。自分は良い人であり、愛が無いなどと認めたくない。
そんなに酷い人間ではないと思いたい。そのため向き合
わずに、逃げているだろうか。

無意識のため、気づく事も無い。しかし霊的成長は、必
ず現状を見せられ、「認める」事から始まる。冷淡で、
愛が無い、妬み深い、プライドの高い自分、非常に痛い
が、破れ果てた真の自分の姿を認める時に、御霊により
変えられて行く。

自分がいかに貧しく惨めかを知る時に、真に主の十字架
を経験して行く。その度に新たに主に出会い、羨ましい
ほど幸せで、祝福である事がわかって行く。愛、喜び、
平安・・の実を結ぶ。空の器を溢れるまでに満たして下さ
る。貧しいと知る事が最大の祝福だ。
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自分本位の愛情しか示せない者だ。意思を向けなければ
愛を示せない。貧しい自分を見せられるたびに、感謝し
たい。主に祈れる。気づくことから始めたい。