2004年05月29日(土)

『アブラハムは答えた。「イサク、神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた』(創世記22:8)


 私達の教会は独立した時からずっと赤字だった。しかし、そのつど特別献金をすると少し多い目に満たされた。誰も幾ら献げるか相談しないのに、常にそうだった。新会堂を建てた時も奇跡に次ぐ奇跡を見た。赤字があるが目の前の絶対必要な物は今まで100%満たされて来た。アブラハムは目に入れても痛くないほど愛するイサクを献げるよう求められた。どうして出来るだろう。しかし、イサクを得るまでの長い日々に信仰が練りきよめられ信じる者に必ず報いて下さる神を知った。彼は備えて下さる神を信じたのだ。私達も様々な試練の中で、決して裏切られず失望させられない神を経験しつつ信仰が成長して行く。神を信頼して行く時にどんなお方か知る。
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教会の一つ一つの試練が神様を知るための祝福の道となった。とうてい払うことなど不可能な必要経費は、神様に頼りつつ歩むと最後は大きな祝福と神様への賛美で終わった。この目で栄光を見た経験が、今も私の信仰を支えている。頼らなければ、備えられている祝福は何一つ見ることはできない。