2004年07月29日(木)

「そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生みだし、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ローマ4:3)


 苦しみや悲しみに会う時なぜ、こんな事に?と思う。しかし、神の与える苦しみであり、試練なのだ。真珠が出来る過程はよく聞くところだ。砂などで傷ができ、そこに内側が反応して、あの真珠が作られるのだ。傷を治そうとする分泌物が傷に集中してそれがあの綺麗な真珠になる。傷が発端なのだ。傷が真珠となる。あなたの信仰生活を振り返る時、一段階々の成長は傷によるのでななかったか。傷が発端となり、あなたは成長したのではないか。ヨセフは兄弟から奴隷として売られたのが発端だった。ヨセフはどんな苦しみの中でも心を屈折させる事なく神を信頼していたので、苦しみは彼を成長させるのみであった。傷が真珠となった。苦しみは祝福。
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試練を通らなければ信仰の成長はない。自分の思い通りにならないところを通る事によって自分の足りないもの、また捨てなければならないものを示され、神様を近く知って行く。子供のままの信仰から成長させられて行く。