2005年07月29日(金)

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ1:21)



ヨブの厳しい試練には舞台裏があった。
神とサタンとの間の取り決めがあったの
だ。ヨブはいたずらに神を恐れましょう
かと、サタンは神に中傷した。見返りが
あるから、得るものがあり、神の祝福が
あるから神に従っていると。それで、神
は持ち物に手を触れる事をサタンに許可
された。神はヨブを信頼しておられた。
ヨブは神に見込まれていたのだ。私達は
どうだろう。なぜ神に従っているのか。
「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」
なら、この世のご利益宗教と同じだ。
私達も、ご利益宗教か。神が何かを与え
てくださるからか。それなら試練が望ん
だ時に立ち行けない。そうではなく、神
が神であられるから従うのだ。神が神で
あられるゆえに礼拝する。これが喜びだ。
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試練が続くと、なぜ?どうして?と神様に
つぶやいてしまう。永遠の愛で愛されてい
るから、何を取られたとしても主の御名は
ほむべきかなだ。敬虔な礼拝をささげよう。